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2015年10月13日火曜日

バトルサイボーグ伝説 エピソード1

BJJ Channel様より

こんにちは、早川です。

モンシバことバトルサイボーグシバモンです。またの名を芝本と言います。

トライフォースのエースであり、優秀な実務者であり、我が社の未来でもあります。

シバモンなくしてトライフォースなし。トライフォースなくてもシバモンあり。

芝本は2009年にトライフォース池袋設立と同時に、我が社へ入社しました。

彼は元々は大手スポーツクラブのマネージャーを務めていました。それなりの給料をもらっていたことでしょう。

そんな彼に「柔術に人生を賭けてみないか」と声をかけたのです。

安定した職業につき、家族も居り、家のローンを抱えていた優秀なサラリーマンに、それほど無謀なオファーをしたのは、後にも先にもそれっきりです。

私が芝本の中に見た輝きはそれほど強烈だったのです。日本の柔術の歴史に名を刻むべき人間であると確信したのです。

実を言いますと、芝本は私のオファーを1度断っています。そして1年後、2度目のオファーを出した時に決断をしてくれました。

1度目の時も相当悩んではくれてはいたのですが、結局は辞退しました。さおりさんは芝本のやりたいようにして欲しいと言ってくれていたそうですが、決断には至りませんでした。

その辺のドラマはいずれ彼が自伝(?)で書いてくれるかもしれませんが、辞退後の1年間、彼が日々葛藤していることは、私の目には容易に見て取れました。

そこで私は、トライフォース本部の池袋への移転を機に、二度目のオファーを行いました。芝本は即答で快諾してくれました。

「一応、家に帰って奥さんと相談して来てくれ」と私が言うと「分かりました」とは答えましたが、その目はもう100%入社を決めたバイブスでした。

私は芝本を選手兼インストラクターとして雇い入れましたので、入社後は、簡単な事務仕事と雑務以外は、トレーニングとクラス指導に専念してもらっていました。

麹町(後に青山)、秋葉原、五反田、ヒデズキックの各支部から指導の枠をもらい、日替わりで巡ってもらっていました。これは新日本プロレスにおけるヤングライオンの海外武者修行のようなもので、私がお勧めする若手指導者の登竜門の方式です。

しかし本部の池袋では、一応指導のコマを振っていたのですが、基本的に私が毎日居りましたので、「あ、シバモン、今日はやっぱり俺がやるわ」と言って私が指導してしまう日が多かったです。

何気にその当時はスタッフも指導員も足りており、増員をそれほど必要としていなかったのです。「ではなぜ私を雇い入れたのだろう」、芝本もそんな疑問を持ったことがあるかもしれません。本部の指導でもっと貢献させて欲しいと。

私が芝本に対して、彼が果たすべき真のミッションを伝えたのは、それから1年後の2010年の初夏のことでした。

「新宿に大きなアカデミーを作ろうと思っている。そこをシバモンに任せたいんだ。」

(続く・・・かも)