こんにちは、早川です。
トライフォースチャンネルにアップロードされたこのビデオは、真に伝説といえる映像です。1997年に開催された第3回パン選手権(当時はパンアメリカン選手権)の特集番組です。
当時、「柔術の動画」自体を入手する機会がほぼなかった私たち第一世代の柔術家にとっては、まさにバイブルとも言える映像であり、実質的な「教則ビデオ」となっていました。
私自身もVHSテープが擦り切れるまで何百回と観ました。後に「スパイダーガード」と呼ばれていると分かった技法も、この時はじめて目の当たりにしました。
中井先生はもちろんの事、桑原君や浜島君にもまだお会いしたことがなかった私は、「自分もいつの日か異国の地でこんなチャレンジをしてみたい...そんな日は来るのだろうか?」と思ったりしたものです。
ちなみに、ナレーションにある「独自に柔術を研究している努力家の中村ただし」というフレーズが当時ずっと頭から離れませんでした。「そんな人がこの世に居るのか?」という衝撃を受けたのを今でも覚えています。
さて、このビデオや中井先生の足跡が影響し、日本で柔術の道を志す者達の、いわば「王道路線」が私たちの間では定まりました。
挑戦者達の最初の一歩は、当時ハワイで慣例大会として行われていた「ホノルルオープン」、またはアメリカ西海岸における最大規模の競技会であった「ジョーモレイラ杯」で先ず国際大会の経験を積むことでした。
次にパンアメリカン選手権にチャレンジすることです。現在はLA開催で固定化されてしまったパン選手権ですが、中井先生はハワイやマイアミで開催されていた時代にも出場されています。私が初めて出場した時はフロリダ州オーランド開催でした。南米からのアクセスが良かったのでしょうか。
そして挑戦の最終目的地はもちろんブラジルであり、世界選手権へ出場し勝利することが目標でした。ブラジル全国選手権(通称ブラジレイロ)に出場するという選択肢もありました。気の遠くなるほどの時間と労力が掛かるブラジル遠征を、中井先生や桑原君は年2回は敢行していたのです。
滞在可能な者は、世界大会の前後にブラジルで修行を積むことが盛んになりました。おそらく2002年~2005年頃が日本人のブラジル修行の最盛期で、大会シーズン時のコパカパーナのメインストリートは「道を歩けば日本人に当たる」状態でした。
私自身がブラジレイロに出場したのは、後にも先にも2000年に出場した1回だけです。私の場合は2回の渡航はせず、世界選手権後に修行でブラジルに残り、その集大成として帰国前にチャレンジしました。各アカデミーごとに「道場内予選」がまだ行われていた時代です。
薄暗いアリアンシ・リオ道場でひっそりと行われた予選会でしたが、レオジーニョやテレレが弟子を連れてわざわざサンパウロからその予選会の為だけに来ていました。今にして思えばテレレに会ったのはその日が初めてでした。良き思い出です。